2018年1月17日水曜日

阪神淡路大震災から23年

本日、1月17日は1995年に起きた阪神淡路大震災から23年経ちました。
当時は小学生の低学年でしたが、断片的に記憶に残っています。
地震はとても恐怖に感じますね。
大震災が起きたのは、午前5時46分。
その時に住んでいた地域は阪神地区。
Wikipediaにも甚大な被害があった場所として記されています。

私は思えばこの時から、朝に弱い体質だったのでしょうか。
とてつもない揺れだったのにもかかわらず、起きませんでした。
父親に大声で私の名前を呼ばれて初めて目が覚めました。

その時は真っ暗の中に微妙な光が見えていて、凄まじく揺れていました。
喋った事とか、細かい所は全然記憶にありませんが、当時飼っていた猫の心配ばかりしていたと思います。
震災からおよそ2週間後くらいだったかな?
倉庫の裏からガリガリにやせ細って、命からがら被害から逃れられたそうで。
毛並みもボサボサだったけど、なでまわしてもっとボサボサになっていました。

その後も元気に生き続けてくれて、19歳目前で、旅立って行きました。
少し話が逸れてしまいましたね。

外は少しだけ明るみが出ており、周りの様子がよく見えてきました。
ボコボコになったアスファルトの道路。
倒壊した木造家屋。
折れた電柱。
ガス漏れの音と臭い。
常に消防車のサイレンの音もしていました。

祖母の家が近かったので私達家族は身を寄せる事にしました。
その道中に見た景色です。
普段、記憶力はとても悪いですが、その光景はハッキリと覚えています。

ライフラインの復旧で一番早かったのは電気でした。多分w
送電が行われたと聞いた後、すぐにテレビをつけたのですが
おそらく皆さんも目にした事があるであろう、神戸市長田区の火災の様子(ヘリコプターで撮影していた)と
柱がへし折れ、横倒しになった阪神高速。
衝撃が走りました。

その後も余震が来る度にビクビクしていました。
直後の余震は震度3~4と大きめだったので余計に怖かったです。

更地も多くなり、遊び場所には困らなかったけど
とても心に刻まれる体験をしました。
無事に生きている事が幸せですね。

この日を迎える度に何か、ふと思う所があるのです。
とても抽象的なのでハッキリとはわかりません。
来年もきっとそんなふうに思いを寄せるのでしょう。
頑張って、意地張って、元気良く!生きなければ。

0 件のコメント:

コメントを投稿