2018年3月3日土曜日

里帰り中に訪れた原爆資料館と中華街

早いものでもう3月ですね。
チンタラ過ごしているうちに天に召されそうです。
これはマズイ!
さてさて、今回も島原に関する記事です。



前回の記事:2年ぶりの里帰り

里帰り2日目の朝に、老人ホームに居る祖母に会ってきました。
少し認知症の症状が進んでいて、私の顔を忘れた様ですが
マスクを取ると思い出してくれました。
笑顔が素敵で、体調は悪く無さそう。
元気な祖母に会えて良かったです。


その後は長崎市内に出るかという事になりました。
今の時期、「ランタンフェスティバル」という催し物があるそうで
行ってきました。とは言え、ぶらりと歩いて写真撮ったくらいですけど。

去年の4月に広島の原爆資料館に行ったのですが
その前に行ったのが小学校6年生の修学旅行の時です。
大人になって、また行ってみたいと思い、去年広島に向かいました。

長崎も原子爆弾を落とされていたのも有名な話。
長崎の原爆資料館に連れて行ってもらったのは中学1年生の時です。
この時はプライベートで行きました。
しかしほとんど何も覚えていなかったので、この機会に18年ぶりに行く事にしました。


資料館の中でも写真を撮る事は可能です。
但し、フラッシュを使ってはいけません。
これは広島の資料館に行った時もそうでした。

広島には無かった様な気がしますが
手を触れる事が可能な資料がありました。

原子爆弾が炸裂した時に熱を帯びて変形してしまったガラス瓶です。

元々はコーラの瓶の様な形状をしていそうですが
こうも形が変わるとは。
とてつもない温度にさらされたのだという事が伝わります。

資料館は広島の時と同じく、外国人観光客が目立ちました。
どういう気持ちで見ているんだろうと興味がありますね。
でも英語喋れないから話しかけませんでした。

とある外国人観光客が決めポーズしながら写真を撮っていましたが
それは違うだろとツッコミそうになりました。日本語で。
所詮は観光なのだろうか。


こちらは平和公園です。
一部は工事中でしたが…
ここでは中国と韓国の観光客が多いと感じました。

とても天気に恵まれました。
2月でしたがとても暖かくて、歩くと少し汗ばみました。

平和公園の一角にあった銅像。

ちょっと小さくて見にくいですが
説明板には「1945.8.9 11:02」と書かれています。
長崎へ原子爆弾が投下された時間ですね。
2018年現在、人類史上、実戦で使用された最後の核兵器です。
これが最後である事を切に願います。

広島は1945年8月6日の8時15分ですね。
本当に、とても悲しい出来事です。
これが戦争なのかと。

こちらは平和の泉です。
平和祈念像まであと少しの所にあります。

説明板にはこう書かれています。
「・・・・・・・・・・
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

ーーあの日のある少女の手記から」

計り知れない何かが押し寄せてきます。

平和祈念像

本当はもう少し近くで撮りたかったのですが
韓国の観光客が熱心にポーズを決めて自撮りしまくっていたので
断念しました。また来ればいいし、別に良いんですが。
その時はスッゲー邪魔だなと思いました。

原爆資料館、平和公園を後にし、長崎市の中華街に向かました。
お目当ては「ランタンフェスティバル」です。

とても賑やかでした。
夜はとても綺麗なんだろうな。

長崎新地中華街

ここもすごい人混みでした。
田舎者という性質上、人混みが大の苦手です。
人混みに酔いそうでした。

長崎新地中華街前の広場

いや~、人混みキツイっす。
写真もそこそこ撮ったので、ここを立ち去ります。

近くに長崎に住んでいる人で知らない人は居ないであろう、角煮まんじゅうを食べに行きます。
超有名ですよね。
いつもコマーシャルやってるし。

お店の前

モザイク加工っぽいものが多少雑なのは勘弁してください。
お店の前はごった返していました。

「岩崎本舗」の「長崎角煮まんじゅう」

これはマジでバカうまです。
1個400円くらいするけど、長崎に来たなら一度は食べてみるべし。

帰りの長崎空港でも売っていました。
いつも売っているかは不明です。

帰る途中、欅坂(けやきざか)46というアイドルグループの
「長濱ねる」さんが居ました。
顔小さくて可愛かったけど、周りのおっかけがすごくて写真撮りそびれました。
彼女の出身が長崎県長崎市だそうです。

この日は主に長崎市内をぶらぶらしましたが
とても充実した日でした。
もう1記事、里帰りネタです。
他にもいっぱい写真撮ったんだよ~!ゆるしてくれよ~!

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